日本基督教団 城西教会 沿革
1884年(明治17年)7 四谷区四谷伝馬町1丁目(注;現在の四谷1丁目)の借家に日本美以(みふ)教会(日本メソジストプロテスタント教会)四谷教会として設立。
1885年(明治18年) 牛込区東大久保(注;当時は南豊島郡東大久保村と思われる)に分教会として大久保教会設立。
1888年(明治21年)6.16 四谷坂町(注;現在の坂町)に教会堂を建て、献堂式を行う。
1901年(明治34年)1.13 四谷教会と大久保教会が合併して、城西教会となる。
1934年(昭和9年)9.23 現在地(当時は渋谷区代々木西原町969番地)で献堂式を行う。
1937年(昭和12年)4. 宮城定(ただし)牧師就任。
1941年(昭和16年)6.24 宗教団体法の施行により、日本メソジスト城西教会は、日本基督教団城西教会となる。
1945年(昭和20年)5.25 空襲により、教会、牧師館が焼かれ、書類も一切焼失。幡ヶ谷本町の民家に教会を移して、礼拝は1回も休まず。宮城春江牧師が長年教鞭を執られた青山学院神学部、神学専門学校を辞し、当教会の牧師に就任。
1947年(昭和22年)11.2 コンセットハットの教会堂を建てて、献堂式を行う。
1949年(昭和24年)4 城西幼稚園開設(認可は同年10.1)。
1952.9.16 コンセットハットに連結して、道路側に礼拝堂を建築し、献堂式を行う。当時、伝道のため、5,6ヶ所に聖書研究の団体を作り、両牧師が指導。
1961.1.29 新会堂の献堂式を行う。
1963.10.27 日本基督教団城西教会八十年史 発行。
1968.8.16 宮城定・春江両牧師退任。徳永五郎牧師就任。
1969.7.5 東京都小平霊園に城西教会墓地完成し、献墓式、埋葬式を行う。
1969.11.9 「万博キリスト教館問題」について臨時教会総会開催。万博キリスト教館出展反対決議。教区、教団に同問題で臨時総会開催要求。
1971.11.21 牧師館・幼稚園園舎新築落成感謝会。
1977.6.19 礼拝説教 在日大韓基督教会調布教会 姜栄一牧師。(注;以降、1984年まで同教会との交流を続ける。)
1978.6.25 「沖縄の日」主日礼拝、沖縄献金を始める(注;以降毎年実施)。
1981.12.13 山谷越冬支援(以降毎年実施)。
1983.1.23 現在の会堂を建て、献堂感謝礼拝および献堂式。
1984.9.30 在日大韓基督教会との宣教協約に基づく協力献金開始(注;2006年まで続行)。
1989.6.28 山谷労働者福祉会館設立の協力を呼びかけ。
1990.6. 小型パイプオルガン(ポジティブ)購入。
1995.6 山谷労働者福祉会館維持献金開始。
1997.8. 旧日本軍「慰安婦」問題解決のための献金(以降、2007年まで実施)。
2002.9.30 徳永五郎牧師 主任担任教師を辞任。
2002.10.1 主任担任教師代務者に木村知己牧師就任。
2003.3.31 同牧師、主任担任教師代務者を辞任。
2003.4.1 安田俊朗牧師、主任担任教師に就任。
2009.7〜9 園舎・牧師館耐震補強工事。
2011.3.31 主任担任教師安田俊朗牧師辞任。
2011.4.1 主任担任教師に飯島隆輔牧師就任。
日本基督教団城西教会八十年史(1963.10.27発行)、日本基督教団城西教会年表
(1962〜2002)(2008.8.1発行)および安田俊朗牧師作成の城西教会年表(2002.10〜2011.3)より抜粋。注は今回新たに追記。